断酒2カ月 交友関係について

断酒に伴う交友関係の変化

断酒してから2カ月経ちました。
軽くSNS等では告知しましたが、そこで繋がっていない人はワタクシが断酒をした事を知らない御仁もまだ沢山います。

たった2カ月とは言え、何だかんだ言って交友関係は一気に萎んだ感じがします。
その一番の理由は「飲み友達」と会わなくなったからです。
実際に酒をやめてみると「酒」を絡めずに純粋に会う友人って、本当に限られてくるんだなあと思わされます。
同じ趣味を持つ友人、または元々酒が飲めない友人とかになってくるでしょうか。

酒をやめたと知ると、相手側としても誘いにくい存在になるのでしょう。
もし逆の立場で、自分が酒を飲んでいて、友人が酒をやめたと聞いたら、その友人を酒の場に誘うのは抵抗がありますものね。

それでも今までゴルフ仲間の友人達とのゴルフの後の夜の打ち上げには誘われたので行きましたね。
ええ、全然飲まなくても平気なものです。
まあこれまでも、一般的な普通の量を飲んでるうちは、いくら酒を飲んではいると言ってもほぼシラフと同じでしたので、その頃と何も変わらないちゃあ変わらないんですけどね。

交友関係の断捨離

「何故、また断酒したの?」
と聞かれる事も多いですが、自分でも特に明確な理由というものを持っている訳ではありません。
このまま毎晩酒を飲んでダラダラと年を取っていって良いのだろうか?とか、そろそろ無駄に浪費していく「時間」と「お金」をどうにかせねば…という気持ちは常にありましたが、中でも大きな理由の一つとして「交友関係の断捨離」をしてみようという気持ちがあったのは間違いないと思っています。
別に誰かと大きなトラブルとかがあった訳ではありませんが、

・「酒の場」でしか会わない関係。
・過去、一緒に飲む以外、そこからお互いに何の進歩も発展もしなかった関係。
・結局、酒さえ飲めていればそれでいいと考えている人達との関係。

この様な関係性の人達と、今後ずっと月に数日の数時間という時間をたわいの無い話しで過ごし、たとえ健全な居酒屋での飲み会であっても数千円~一万円ほどのお金を使い続ける価値が、今後の人生において何かにプラスに作用する事ってあるのだろうか?
ましてや、これにスナックやキャバクラ好きな人が絡んだりすると、そこからさらに数時間と一万円以上のお金が消えていくという現実。
年に数回なら付き合いという事で割り切れるけれども、それが月に1回が2回になり、下手すると週に1回とかのペースになってくると話しは大分変わってきます。

仮に一回5時間としても、週に1回ペースで20時間。
金額にして合計3~4万円。
8時間労働に換算すると、1カ月で「2日半」分の仕事時間に匹敵する時間を、ただ酒を飲んでるだけって凄いな…と思った訳です。
中でも何が一番凄いかと言うと、それだけの時間を掛けて、結果として何も残っていないというか、逆に時間だけではなく、お金と体力と健康までが一緒に減っているという事実。
ここに宅飲み分とつまみ代を加えたら、月にいくら酒にお金と時間を使っているんだ?と改めて思った訳です。

普通は時間とお金を掛けた分、物だったり知識だったり、または喜びや満足度が残ったり増えたりというのが当然な筈です。
まあ多少は酒を飲むことで、脳の喜びと満足度は一時的に満たされるとしても、それでも一番満足度マックスなのは最初の1杯で、その後に数時間も飲んでいると、惰性だったり、下手すりゃ注がれたから仕方なく飲んでるってなもので、決して最後まで美味しいと思って飲んでいる訳ではない筈です。

自分一人でなら酒を飲まないでやり過ごせたとしても、一旦飲みに誘われて出てしまえば飲まざるを得ない状況になります。
相手が飲みたいタイミングで誘われ、飲まなくても良いかな?と思っている自分が家から出て行って付き合いで飲むというのは、相手の人生のひと時の喜びの為に自分の人生の時間を使っているんだよなあ…と思った訳です。
つまり相手の人生に付き合って生きている…と。
しかも、数年来いっしょに飲んでいて、この定期的な飲み会から何か大きなインスピレーションをもらったとか、初めて知った知識などを得た事が殆どないという事実を自分自身が知っているので、毎回とりあえず来てはみたものの、これって一体何の時間なんだろう?と自問自答する事が多くなってきていました。

それでも多少なりとも場が楽しかったりすれば、まあ仕方ないか…とか、そこそこ面白かったから良いか…とか自分に言い聞かせたりしていましたが、面子によって組み合わせが悪かったり、酒癖の悪い人が加わったり、またまた酒癖の悪い他の客がたまたま居合わせたりとかで、面白くも何とも無いどころか、不愉快な思いをした上にお金払って帰ってくる事になるのですからたまったもんじゃありません。
そしてまた、面白くなかった飲み会の次の日の調子もすこぶる悪いんですよね…これが。

飲ミュニケーション?

「飲ミュニケーションだよ!!」
とか言う人も結構な数います。
30数年におよび酒を飲んできたワタクシの見解としても
「確かに初めて会う人達が打ち解けるためには、一緒に酒を飲むのが良い場合もある。」
とは思っています。特に初見で社交的に振る舞うのが苦手な日本人にとって酒という物は良いツールでしょう。

しかし、その後からはトラブル、仲たがい、嫌われる人が出る…等の問題勃発。
これらの方が、初見から打ち解けて仲良くなるケースの数倍、いや数十倍あったように思っています。
幸か不幸か、人よりはるかに酒に強かったお陰で、こういった状況をほぼシラフに毛が生えた状態で冷静に見てきました。
「酒さえ飲まなければ良い人なのに…。」
「酒を飲んだ時がその人の本性なんだ。」
などと言われますし、実際に酒を一定数飲むと豹変する人もたくさん見てきました。
けれど人間は理性の生き物ですから、理性で抑えられている状態が人間としての真の姿なのです。
なにも酒で本性をさらけ出させられて、それによって人間性を判断される必要もないでしょう。
飲まなければ一生良い人として認識され続けるという事ですから。

確かにベロベロになるまで飲んでても、ただ酔っぱらっているだけで全然面倒くさくなったりせず、ずっと温厚だったりする人を見ると、根っから優しい人なんだろうなあ…とは思ったりしますから、酒はマンウォッチングする際の判断材料にし易いという事はあるでしょう。
ま、優しいままではあるのは良いけれど、トイレで床に小便撒き散らしたりして別の意味では面倒だったりもしますけど(笑)

結局のところ、過去の自分を含めて酒に支配されている人は年がら年中「酒を飲むこと」しか考えていない訳です。
何かイベントがあっても、その打ち上げと称して酒を飲むという事後イベントがセットになっています。
一見、立派なボランティア活動にも見える地元のイベントや祭り、または町内会活動も、その後の打ち上げでの酒が原動力になっているってケースも多かったですね。
その為に、その活動自体を美化して、表向きはいかにも地元の為なんだ!という大義名分を前面に打ち出して語りますが、その根底には終了後に酒を飲めるってのが見え隠れするという感じが何とも…。

これまで、恐らくクルマとか中古住宅が買えるくらいの金額と膨大な時間を酒を飲むことに費やしてきたワタクシですが、それに見合った何かが残っているか?と問われたら
「全っっっっっ然!! 何も残っていない!!」
と即答できるワタクシがここにいます(笑)



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